ご案内

MMA 

MMA(Mixed Martial Arts)は、総合格闘技を表す世界共通の競技名です。

MMAはその名の通り、打撃技(パンチ/キック等)、テイクダウンテクニック(タックル/投げ技等)、寝技(関節技/

絞め技等)など様々な格闘技のテクニックの使用が許可された、言うなれば"何でもあり"の格闘技で、アマチュア

からプロまで数多くの大会が世界的に開催されています。

代表の朝日がチャンピオンであった修斗は、世界で最も古い歴史を持つMMA組織の一つです。


柔術

柔術は日本からブラジルに伝わり、ブラジルで独自に発展を遂げた衣を着用する組み技格闘技(打撃技は使用

しません)で、関節技/絞め技/タックル/投げ技などの使用が許されています。

各カテゴリー(体重別/帯別/年齢別/性別)に分かれ、世界中で多くの大会が開催されています。


キッズレスリング

レスリングはオリンピックなどでもご覧になれる組み技競技です(打撃技は使用しません)。

3歳児~小学6年生が主な対象です。

※ こちら以外の方についても歓迎ですので、ご希望の方はご連絡ください。現在は中学生も在籍しております。


キッズクラス

キッズクラスでは、MMAを軸に様々なスポーツやエクササイズを行います。

3歳児~小学6年生が主な対象です。

※ こちら以外の方についても歓迎ですので、ご希望の方はご連絡ください。現在は中学生も在籍しております。

フィットネス

格闘技の要素を取り入れながら、より良いボディメイキングを行います。


まずは基本から

・イエローマンズでは、ビギナーの方には先ず基本動作や基本技術を学んでいただき、次いで、より試合に近い

 形のものを学んでいただいております。

・タイムスケジュールについては、別ページのタイムスケジュールをご参照ください。

・ジムに入会したから試合に出なくてはならないと言う事は一切ございません。

・朝日昇をメインに、各上級者が指導に当たらせていただきます。


朝日 昇 略歴 / The biography of Noboru Asahi

■ 出身 : 神奈川県横浜市

■ 学歴 : 神奈川県立港北高等学校 〜 専修大学経営学部経営学科卒

■ 獲得タイトル : プロ修斗第3代ライト級チャンピオン

■ 戦績 : 30戦19勝6敗5分け / アマチュア4戦4勝0敗 / 13連勝、6年間無敗などのレコードを持つ

■ 所属 : スーパータイガージム → 木口道場(修斗クラス指導者)→ シューティングジム大宮(代表) 

    → PUREBRE大宮(代表) → 東京イエローマンズ(代表)

■ “奇人”のミドルネームを持ち、修斗四天王の1人と称される。“奇人”命名の由来は、一つの事に何処迄も

 没頭する姿勢を見て、当時の雑誌編集長が名付けたよるもの。


● 小学生の頃から1994年まで ※ 一部をご紹介させていただきます。

・小学生時代は3〜6年まで毎年学級委員長を務めるなどしながら、小3から4年間はサッカーチーム、

 中学、高校の6年間は野球部に所属し格闘技には全くの無縁であったが、大学入学と同時に当時三軒茶屋に

 あったスーパータイガージムに入り、修斗を始める。

・修斗を始めて2年目に横浜市緑区の木口道場でも修斗クラスが開設される事となり、木口道場に移籍。

 選手活動と共に指導も開始する。同時にプロのデザイナー、イラストレーターとしても活動を始め、

 木口宣昭からは木口道場のロゴのデザインを依頼されデザイン。プロとして初めての作品となる。

・1992年、プロ修斗第3代ライト級チャンピオンとなり、以降2度防衛。

・1993年、修斗普及の為に全日本アマチュア修斗選手権大会を立案、ルールや諸々のシステムも考え 

 町田で第1回大会を開催。パンフレットの表紙や当日の各掲示等も全て自身が手描きで描く。

・第1回シューティングオープントーナメント(1992年9月/後楽園ホール)の優勝ボードも手描きで描く。

・佐山サトル監修のシューティングの通信講座の冊子内のイラストも全て描いている。


1995年 日本プロシューティングに入社、初代修斗ディレクターに ※ 一部をご紹介させていただきます。

・1995年、佐山サトルの元で初代修斗ディレクターとして活動するため日本プロシューティング

 に入社、ジムもシューティングジム大宮に移籍し代表も務める。

・初代修斗ディレクターとして実行した事は多々あるが、例えば以下のようなものが挙げられる。(一部紹介)

 ◆ 当時の修斗は外国人のルートが脆弱であったがルート開拓のためヨーロッパに向かい、オランダ、

  ドイツ、デンマークを縦断。デンマークではヨーロピアン柔術の大会中に修斗のデモンストレーション

  を行う。

 ◆ 修斗をA〜Cにクラス分けし、クラスAとBはプロ、クラスCはアマチュアとするピラミッド形式の

      システムをまとめ、構築。

 ◆ 当時はまだ存在しなかったアマチュアのワンマッチもシステム化、以下のような大会を創設、主催する。

   ○ 横浜フリーファイト(神奈川県横浜市・屋台村ヨンドン)

   ○ 大宮フリーファイト(埼玉県大宮市・シューティングジム大宮 / PUREBRED大宮)

   ○ TOKYO FREE-FIGHT(東京都・後楽園ホール)

   ○ どえりゃあフリーファイト(愛知県岡崎市・岡崎市中央総合公園総合体育館)

   ○ 八景フリーファイト(神奈川県横浜市・八景ジム)

   ○ 小千谷フリーファイト(新潟県小千谷市・小千谷市総合体育館)

   ○ 龍ヶ崎フリーファイト(茨城県龍ヶ崎市・マッハ道場)

 ◆ 1993年に自らが発足させた全日本アマチュア修斗選手権大会を第5回大会まで主催し、定着させる。

  以降は選手活動等が多忙となってしまったため後任にノウハウを教授し、主催からは外れる。

 ◆ 当時のメインレフェリー小方康至から相談を受け、修斗コミッションの前身となる審判部を設立。

 ◆ K-1で総合格闘技が行われ始めた際、窓口としてレフェリーを始めとする各スタッフを派遣し、自身も

  セコンドなどを務める。

 ◆ 当時の修斗は過去のアーカイブが無かったが、それらの記録を古い書籍等から一つ一つ 抽出し編纂。

 ◆ 当時は観客もまばらであったプロ修斗後楽園大会をチケットの入手が困難となる大会に導くなど

     プロ大会の活性化。

 ◆ 修斗グローブの開発。しかし、当時の技術では希望する形状のものを作る事は困難であった。

 ◆ 体言止めなどを利用した、より効果的と思われるリングアナウンスの台本の制作。

 ◆ 絵描きやデザイナーとしてポスター等のよりデザイン化を推進。

 ◆ 当時はまだファッションとして成り立っていなかった格闘技系アパレルのファッション化も推進し、

   デザイナーとして自らもデザイン。


1995年以降 ※ 一部をご紹介させていただきます。

・ 1995年にブラジル・リオデジャネイロで開催された、ヒクソン・グレイシーへの挑戦者を決める

 「バーリトゥード・ブラジル・オープン」に出場する、修斗の先輩に当たるグラップラー刃牙のモデルである

 平直之のセコンドとして帯同。大会は様々な問題の連続であったが、結局プロモーターのファイトマネーの

 未払い等で大会も途中で中止されるなど後年も語られる曰く付きの大会となった。

・1996年、パーリトゥードジャパン’96にてホイラー・グレイシーに敗戦。

・ホイラー戦後、長年痛めていた右膝が外れたり、腫れ上がって曲がらなくなったりするなど亜脱臼の症状が

 より悪化したため手術を受ける。その後には同じ症状だった左膝の手術も受け、その他頚椎の損傷等

 数多くの負傷が表面化していく。

・1997年5月30日、米・ジョージア州オーガスタで開催されたUFC 13にエンセン井上が出場、ヘビー級

 トーナメント1回戦でロイス・アルジャーと対戦した際には、当時の修斗ヘビー級チャンピオンであった

 エンセンのサポートに誰も現地に赴こうとしない会社に異議を唱え、自費でセコンドとして帯同。その際

 「UFCとのリレーションシップを深め、MMAの世界的な競技化を目指すべきである」と考え、修斗の

 ルール等を翻訳した英語版の文書を自身で制作し、現地でUFC側に渡す。

・代表を務めるPUREBREDは大宮を軸にその他京都やグアムのブランチがあったため、それぞれに頻繁に訪れ

 指導する。グアムではFOKAIやSpike22などのアパレル等の各種アイテムのデザインワークも開始する。

・1999年、アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラに敗れ、プロ修斗ライト級王者から陥落。

・2001年、東京イエローマンズを設立。と同時に、アート活動も本格化し、国内外の様々な分野

 でより活動を展開する。( A-pop.tv http://www.a-pop.tv )

・所属する吉田"ZENKO"善行がCAGE FORCEのウェルター級王者となりUFCと契約、中村"アイアン”浩士は

 ベラトールと契約するなどし、GMやコーチのポジションとして世界を転戦する。柔術では木口道場時代から

 見ていた吉岡大が2008年にムンジアル(柔術世界選手権)黒帯ライトフェザー級で準優勝。

・そのような流れから(ここでは詳細は省略)2011年、世界を股にかけた株式会社修斗の設立を修斗に

 プレゼンし、もしこれが為されたならば修斗とベラトールの提携なども企画書には織り込まれていた。

 しかし、修斗側の支離滅裂な対応により全てが頓挫した。

   ○ 【隠蔽された修斗の黒歴史】朝日昇「修斗を伝承した人間はみんな外に出ていったんですよ」

   ○ 消された「2010年12月23日」――修斗に何が起きたのか/朝日昇インタビュー②

   ○ 朝日昇インタビュー最終回……修斗分裂騒動の裏側、着せられたクーデターの汚名

   ○ Inside Shooto’s Scandal, Legacy and Future


様々な活動 ※ 一部をご紹介させていただきます。

・1996年頃から『週刊ヤングジャンプ』(集英社)の『高校鉄拳伝タフ』に朝日昇をモデルとする朝昇が登場

・1996年、フジTVの番組「SRS」にて年間大賞を獲得

・1996年、京都大学にて講演会開催

・1997年、マルちゃん「麺づくり」のCMにウッチャンナンチャンらと出演

・所属選手以外にも様々な選手のコーチやセコンドに携わって来たが、例えば以下のような選手が挙げられる。

   ○ TAKAみちのく 選手 / 1997年4月27日 PANCRASE 1997 ALIVE TOUR vs 山宮 恵一郎 選手

   ○ カーロス・ニュートン 選手 / 1999年7月4日 PRIDE.6 vs 松井 大二郎 選手 

   ○ 子安 慎悟 選手 / 2001年12月31日 INOKI BOM-BA-YE 2001 vs 石澤 常光 選手

   ○ 桜井"マッハ"速人 選手 / 2009年4月5日 DREAM.8〜ウェルター級グランプリ1回戦 vs 青木 真也 選手

・自身が主催する大会以外でもレフェリーやジャッジを務めたが、例えば以下のような大会が挙げられる。

   ○ 『the CONTENDERS Millennium-1』(2001年6月10日/ZEPP TOKYO)

   ○ 『UFO LEGEND』(2002年8月8日/東京ドーム)

   ○ 『INOKI BOM-BA-YE 2003 馬鹿になれ夢を持て』(2003年12月31日/神戸ウイングスタジアム)


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主な所属選手、これまで所属した選手

※ 表記は主な成績です。

■ 三上 洋平 / Yohei Mikami 〜 MMA

・プロ修斗 4戦3勝1敗

・2013年プロ修斗フェザー級新人王トーナメント準優勝


■ 中村"アイアン”浩士 / Hiroshi "IRON" Nakamura 〜 MMA

・プロMMA 27戦16勝7敗4分

・Bellator 2戦1勝1敗

・2004年 第4回東日本アマチュア修斗選手権大会 ライト級優勝

・2006年 Gi ADCC オープントーナメント 66kg級 優勝

・アブダビコンバット2009 66kg未満級出場


■ 吉田"ZENKO"善行 / Yoshiyuki "ZENKO" Yoshida 〜 MMA

・CAGE FORCE初代ウェルター級チャンピオン

・FMAウェルター級チャンピオン

・プロMMA 26戦18勝8敗

・UFC 5戦2勝3敗

・Bellator 1戦1敗

・2004年 第4回東日本アマチュア修斗選手権 ミドル級優勝

・アブダビコンバット2009 77kg未満級出場


■ 安永 有希 / Yu-ki Yasunaga 〜 MMA

・プロMMA 29戦14勝14敗1分

・2011年 第17回ネオブラッドトーナメント スーパーフライ級 優勝

・2007年 西日本アマチュア修斗選手権 フェザー級準優勝

・2007年 第1回東北アマチュア修斗選手権 フェザー級優勝


■ 吉岡 大 / Dai Yoshioka 〜 Jiu-jitsu

・2008年 ムンジアル(柔術世界選手権)黒帯ライトフェザー級準優勝

・2014年 ムンジアル(柔術世界選手権)黒帯ライトフェザー級ベスト4

・2001年 柔術パンアメリカン選手権 茶帯ライトフェザー優勝